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  • 2021/8/16

DaiGo氏の差別発言に関する見解と経緯、そして対応について

2021816
NPO
法人抱樸 理事長 奥田知志


2021
87日にDaiGo氏が配信したYouTubeの番組において語られていた内容は、NPO法人抱樸にとって大きな衝撃でした。私たちは33年間、路上の命、困窮状況に置かれた人々の命と向き合ってきました。それは抱樸のスローガンである「おんなじ いのち」ということを確認し続けた日々でありました。
DaiGo氏の発言に対する抱樸として見解を示すために以下、見解と経緯等に関して報告します。

今回のDaiGo氏の発言は、命の尊厳そのものに対する否定であり、到底容認できるものではありません。また、この発言がさらなる偏見や差別、社会的排除、ついにはヘイトスピーチ、憎悪犯罪につながる恐れさえあるものだと危惧しています。

実際に、2016年の相模原事件や昨年の渋谷バス停でのホームレス状態にあった女性の殺害など「意味のない命」があるかのごとく主張し、命を抹殺する事態がすでに横行していることも事実です。「役に立たない」と烙印を押され、分断され、命さえ奪われる。私たちは、現にそのような社会に生きています。

今回のDaiGo氏の発言は、まさに「差別扇動」であったと思います。このように命を分断し、排除する言動に対して私たちは無関心でいることは出来ません。はっきりと「それは間違いである」という声を上げます。

同時に、ではどうするのか、ということについても考えたいと思います。DaiGo氏の発言に賛同する人もいます。このような考え方や人間観、社会像を正していくにはどうしたら良いのか。人が個人として尊重され、相互に生かし合う社会をどのように構築していくのか。抱樸は、そのことを考えたいと思います。

既に、DaiGo氏のYouTubeでの発言、報道などで、彼が奥田に会いNPO法人抱樸にて学ぶということが言及されていますが、抱樸としてもそれを引き受けようと考えています。しかし、この引き受けについては危惧する声も聞かれます。

ただ「学ぶ」と言うことは、自分を一旦切開し自分の闇を見つめることから始まります。単なる知識の上塗りではなく自己批判を伴う営みだと考えています。本当の「学び」は知識を得ると言う事では全くなく自分のしてしまったこと、あり方を一旦否定することから始まると考えます。それを棚上げにして「学ぶ」ことは出来ません。DaiGo氏は、一旦ひとりになり、自分を見つめて欲しいと思います。そして今回傷つけた人々の痛みを全身で感じてもらいたいと思います。「学び」とはそういう事だと考えています。ですから、抱樸としては安易に「学び」の場所を提供し事柄を済ませることはしません。徹底的に自己批判していただき、厳しく自らと向かい合ってもらうための対話を重ねたいと考えています。すべては、そのような「学び」をご本人が心から望んでおられるかということです。私たちは、それを常に問いかけていきたい。

そして今回の発言で否定され傷ついた人々と共に生きていく活動を抱樸としてはこれまで以上に徹底していきたいと思います。

 

これまでの経緯について

経緯について以下簡単にご報告いたします。

NPO法人抱樸とDaiGo氏とはこれまで全く関わりはありませんでした。私はDaiGo氏という人物を存じ上げない状態でした。

813日、知人であり、かつて共著を出した茂木健一郎氏から奥田に連絡があり「友人のDaiGoという人が問題になっている。話をしてあげられないか」との連絡を受けました。数日前からネットで話題になっていた件でしたが、深くは知らず、その後改めて確認したところ大変深刻な問題が起こっていることを知りました。

DaiGo氏に連絡が取れ、誠実な学びが必要であること、本当に学び、変わりたいとの気持ちがあるのなら、まずは資料を送るので読んでもらいたいこと、さらに時期を見て抱樸に学びに来ると良いということを伝えました。

その際にDaiGo氏より「寄付を呼び掛けることも出来ます」との話が出ましたが断りました。今、やるべきは謝罪と学びであり、それに集中すべきだと申し上げました。

一回目の「反省」動画(既に削除されています)が配信されそれを視聴しましたが、謝罪と学びに集中できているとは言い難く、まだ学びが始まっていない段階での配信であったため内容的にも偏った内容(下記のホームレス就労率についてなど)だと感じ、その後メールでその点を指摘しました。

そこで抱樸としては、DaiGo氏の学びを受けるに当たって、以下の点を条件としました。

  今回の抱樸での学びに関しては途中経過を含めてすべて配信等はしない。これを配信のネタにすることはしない。DaiGo氏は、配信を仕事としておられるが、これは配信やビジネスのための学びではない。学びが足らない状態で安易に配信し、目的がズレてしまうと抱樸は関わる事はできない。

  抱樸の宣伝や応援、寄付は一切行わない。抱樸としても寄付等は受け取らない。何よりも大切なのは、DaiGo氏がこのことを経て学び変わることである。誤った情報ではなく、人の命に資する知識をDaiGo氏が有することである。抱樸は自分たちのためではなくDaiGo氏が学ぶ必要があると考えている。抱樸としては学びたいと欲している人に応えたいと考えている。

DaiGo氏から返事があり、条件を了解するとの確認が取れました。しかし、その夜の二度目の「謝罪動画」が流れたことを知り残念に思いました。この謝罪に関しても「誰に謝罪しているのか」「何を謝罪しているのか」が不明瞭だと思いました。

815日、再び二つの条件を再確認してもらいDaiGo氏から「承知しました」「今後はこの件に関して一切の情報発信はしません」との約束をいただきました。

816日現在、学びは始まっていません。今、資料などを郵送する準備をしています。コロナの状況があるため、抱樸への訪問は当面できませんし、当事者の方々がいる場所への訪問には最大限注意を払い、準備と同意が必要であることは言うまでもありません。

 

DaiGo氏の発言の問題点について

改めて、DaiGo氏の発言の問題点について5つ挙げます。

.命の普遍的価値を認めていない

「必要のない命」「軽い」「どうでもいい」などの一連の発言は、命の絶対的で普遍的な価値を蔑ろにするものだと思います。また、ホームレスや生活保護受給者の命と「猫」の命を比べること自体の問題もあります。

このような発言は、命を分断することになり、ついには「意味のない命」あるいは「価値のない命」は殺して良いということになりかねないと思います。すでに触れた通り、現にそのような事件は起こっています。

さらに「謝罪」動画においてホームレスの就労率のことに触れられていましたが、自立に向けた支援が必要であることは言うまでもありませんが、「頑張っているか、いないか」が命の価値づけの基準となってはいけません。自立支援という事柄と生存権や命の普遍的価値の事柄は別の事柄です。第一に命の普遍的価値が確立されなければ、自立支援は成立しません。これが逆転してしまう事態、すなわち「自立できる人だけ支える」ということになってはいけません。

2.ホームレスや困窮を個人の問題(自己責任)とし経済状況など社会的要因を考えていない

困窮や貧困は、個人の問題を超えて経済状況など社会的要因が大きく影響しています。それはコロナ禍によって多くの人が困窮状態に置かれた事実を見ても明らかです。この点を全く踏まえず「個人の問題」「努力が足りない」「自己責任」といってしまうことで問題が矮小化されます。自らが責任を果たせる社会であるために、周囲の助けや公的支援が必要です。自己責任論は、社会や国が無責任でいるための方便となっています。DaiGo氏の発言は、これを助長することになります。

さらに、生活保護受給者への偏見や自己責任論の強調によって、当然の権利である保護申請が一層しづらくなります。すでに生活保護受給者に対する社会のスティグマが問題となっている中で、今回の発言は保護申請をさらに困難にするものであると考えます。

3.社会の存在自体を否定している

DaiGo氏の発言の中に「僕の税金の使い道として」というニュアンスの表現がありますが、税金は国民が受ける公共サービスの対価ではありません。公共サービスの受益者は広く国民全体です。この中には当然非課税世帯の方々も含まれます。それが社会という事です。

税制、つまり富の再分配は国が行う最も重要な役割です。さらに累進課税によって収入の多い人が多く税金を払い再分配を計ることで、なるべく平等な社会が実現されます。そのような中で社会保障制度が整備され生活保護は国民全体に対する権利として存在しています。このような仕組みを否定することは、この社会の存在そのものを否定することにつながります。

4.困窮やホームレス状態にある人々に対する偏見や憎悪を誘発する

ホームレスは「いない方がよくない?」「邪魔」「プラスにならない」「臭い」などとDaiGo氏が視聴者に語りかけている場面がありますが、これは困窮者やホームレスに対する偏見や憎悪を煽る行為であると思います。さらに、人間は群れや社会に「そぐわない人間を処刑して生きてきている」との発言もそれに通じるものだと言えます。先に取り上げました、昨年の渋谷バス停での女性殺害事件でも明らかなように、すでにそのような傾向がある社会において多くのフォロワーを有し影響力のあるDaiGo氏が誤った方向に扇動する事は極めて危険です。

5.困窮状態にある人や生活保護受給者、ホームレスを「犯罪」予備軍のように捉えている

人間はお金に困ったら「何をするかわからない」、ホームレスや生活保護の人を虐げると「マフィアとかになっちゃう」など、なんらの裏付けもなく困窮者やホームレス状態にある人が犯罪者になるかのように発言していることも問題です。抱樸は、これまで何度も「住民反対運動」にさらされてきました。その中で繰り返し語られたのが「ホームレスは危険だ」ということでした。では、実際に何が危険なのかについて尋ねると具体的な回答はありませんでした。困窮者は「何をするかわからない」という言葉は社会的排除やヘイトクライムを生み出すことになります。

 

おわりに

私は、この発言に通底する価値観は今に始まったことではなく、既に社会に浸透していたように感じています。なぜなら33年間のホームレス支援の現場では、このような発言を幾度となく聞き、ホームレスを狙った襲撃事件や、実際に路上で亡くなってきた方をたくさん見てきたからです。私たちの活動は偏見や差別との戦いでした。「ひとりの路上死も出さない」「ひとりでも多く、一日でも早く、路上からの脱出を」「ホームレスを生まない社会を創造する」ということを掲げて活動してきた私たちにとって、「必要のない命」などという発言は、許容してはならないし、これ以上繰り返してはならないことだと思います。この事は、DaiGo氏や、その言説を聞いていた人たち、全ての人に伝えたいことです。

 DaiGo氏自身の主体的な学びが、このような社会の在り方を考えていく機会となればと願っています。彼の学びを引き受けることについては賛否あると思います。ただ、私たちは、学びたいと願う人には誰でも学んでほしいと考えています。但し、その「学び」はこの文頭において言及した学びに他なりません。当然これは彼のビジネスを応援するためではありません。DaiGo氏が自分を見つめ直し、多くを学んでくださることを願いますし、それが新しい社会、あるべき社会の創造の道のりとなることを願っています。

私たちは、人が出会いと学びの中で新たな道を歩み始める場面を多く見てきました。これからも多くの人が学び、変わることを期待したいと思います。そのためにも、まずはDaiGo氏自身が発言の問題がどこにあるのかを深く知り、誰に対して謝罪するのか、何を謝罪すべきなのかを深く考えていただきたいと思います。引き続き私も、この社会、この時代に応答し、出来ることを模索したいと思います。

また、先にもふれましたがDaiGo氏の学びついては、何よりも当事者の尊厳を第一に考え、早急に「当事者と話合う」ということではなく、まずは資料などで十分に学んでいただきたいと思います。また何より、この事は私たちが勝手に決められることではなく、当事者の了解が必要です。まず私を含め、抱樸の職員と話していただきたいと考えております。

最後に、私たちはこれからも社会に居場所がなく路上で暮らしている人たち、困っているのに「助けて」と言える誰かがいない人たち、生きることに疲れ果て自分が困っていることにさえ気づけない人たち、差別と偏見に傷ついた人たちと共に頑張っていきます。

以上